ベトナムを初めて意識

キッカケは転職でした。

でも、今思うと、「ベトナム」とのキッカケは

ある程度自分で引き寄せたかもしれません。

 f:id:meganenoossan:20171209035742j:image◉サッポロ大通ビアガーデン

折しも、日本でFacebookが広まり始めた2018年頃、

僕は北海道にいました。出版社で勤める僕は、

とりわけ、雑誌の事業部におり、それなりに楽しくも、それなりにやりがいも感じていました。今思うと、媒体の力を借りて、普通の仕事してたら、なかなか会えないだろう人たちとお会いできる楽しさもありました。

 

f:id:meganenoossan:20171209035758j:image◉青い池

 

ですが、子会社出身者で、その中で、それなりのポジションにいて、当時クソ生意気だったかもしれない僕は疎まれて、(僕の部下達の多くは契約社員で、彼らの利益を守るのが、その当時の僕の存在意義で生きがいだったので、親会社の連中とよくぶつかってしまった、というのはあります。)「北海道の立て直しをやって欲しいんだ」と言われるも、ていよくとばされた感を感じて、また、当時部下と社内恋愛をしていたのに、「引き裂かれ遠距離恋愛にされたーー」、みたく、ネガティブな想いを半ば抱え着任した北海道でしたが、北海道の素晴らしさに出会えて、北海道の、北海道人の魅力も強く感じていた僕でした。

でも、一方で、雑誌の部数はガンガン落ち、

会社は合併に合併を繰り返し、

(採算取れてるグループ会社と合併、2年後位に赤字に陥り、また、別のグループ会社と合併、また2年後位に、みたいな。)

また、待遇面の違う会社が次々合併していくので、

何だか社内はギクシャクするわけです。

内心、特に、そんな経営をしながら、上に居座り続ける役員連中を横目に、「なんなんこれ?俺の美的感覚に合わへんわ」と強く思い出してました。

「でも、でも、でも、北海道のこの人達とも長く付き合いたい!」葛藤の日々が続きましたが、気持ちは「新しいとこで勝負してみたい」って方向にどんどん向かって行きました。

 

正直な話、転職にあたって、ネガティブな思いも多数ありましたが、ネガティブな事のみで、転職するのは自分にとって良くないって思いました。「自分は一体どこに向かいたいのか??」自問自答。僕はその出版社の作った、デジタル系の戦略子会社出身。でも、会社が合併していき、結局は利益率が低くても売上の嵩が大きい雑誌を大切にする様になり、結局は一所懸命雑誌を売らされました。

そこで、考えたのは、「俺は今39歳。この歳での転職は相当に厳しいけど、でも、今ならまだなんとか。雑誌がいよいよ厳しくなって、例えば、45歳、50歳で、リストラとか言うと、もうどうしようもない、と言うか、転職は困難だと考え、動くなら今。ネガティブな事も正直あるけど、転職理由は、自分のキャリアのデジタルへの回帰と、特に今後欠かせぬものになっていくであろう、Facebookに舵を切ろうと。

そこから、業界研究をスタートしました。

当時は、Facebookを軸にビジネス展開している有名どころは数社。募集してるとこ、してないとこ、

当然片っ端から、書類を送ってみました。

さすがに39のおっさんは受け入れがたく、書類で次々と落とされていきました。

で、やっと一社。面接をしてもらえることになり、

当時まだ数人のその会社まで、遠路はるばる北海道から会いに行きました。特にシステム系も絡む案件も多数手掛ける同社では、即戦力にはなりがたく、

業務委託契約」で良ければ、頑張って猛勉強して、猛急に力をつけ、Facebookをはじめとする、ソーシャルの領域でプロとなってみませんか?と、同社の社長は半ば、人助け的に、僕を引き受けてくれたのでした。

今思えば、「業務委託」で頑張ってみます!と言うには、歳を取りすぎてたし、(残り二人のプロパーは正社員)恥ずかしながら、本気の腹ぐくりが出来てなかったのだと思います。

案の定、試用期間中に、あまりの活躍できなさに、嫌気がさし、自分で身を引いてしまいました。

って書くと、良いことかの様ですが、

まー、早々にケツをまくったと言う事でした。

ま、情けない話ですね。

自分の人生の中で、汚点も、汚点です。

 

そんな中です。

前職同期の友人があげてたFacebookのポストには

 アジアの怪しい魅力にほだされ、高揚した表情を見せ、ルーフトップバーで、風に吹かれながら酒を酌み交わしている姿が、ありました。

よく見ると、東南アジアを何カ国か視察で回ってぽく、

特にベトナムに力を入れてる風でした。

海外旅行の経験のほとんどない僕には、

「東南アジア?べ、と、なむ?」

東南アジアの各国の位置関係も知らなかった当時の僕には、??だらけも、その写真は今でも眼に浮かぶインパクトの強いものでした。

これが、学生時代にバックパッカーとまで行かずとも、旅行で行ったことあります!みたいな人は、僕同様のインパクトは全く感じなかったと思います。

 

つづく。